「取締役を辞めたはずなのに、登記簿を見るとまだ名前が載っている」——こうした相談は珍しくありません。取締役が辞任したり、株主総会で解任されたりしても、それだけでは登記簿の記載は自動的に変わりません。別途、法務局へ変更登記を申請して初めて、登記簿の記載も実態に追いつくのです。
この記事の要点
- 辞任・解任の効力は意思表示や決議で直ちに生じるが、登記簿の記載は変更登記をしないと変わらない
- 登記簿に残ったままだと、善意の第三者に「もう取締役ではない」と主張できないことがある(会社法908条1項)
- 辞任には辞任届、解任には株主総会議事録・株主リストが必要
- 登記は変更から2週間以内(会社法915条1項)。放置すると過料のおそれがある
辞任と解任はどう違うか
まず、取締役が地位を失う2つの場面を整理しておきます。
- 辞任:取締役本人が「辞めます」と意思表示すること。会社と取締役の関係は委任契約なので(会社法330条)、受任者はいつでも一方的に辞任できます(民法651条1項)。会社の承諾は不要です。
- 解任:会社側(株主総会)が取締役の地位を強制的に終わらせること。取締役はいつでも、株主総会の普通決議によって解任できます(会社法339条1項)。
どちらも「取締役でなくなる」という結果は同じですが、誰の意思で・どんな手続きで地位が終わるかが違うため、登記の添付書類も変わってきます。
なお、正当な理由なく解任された取締役が会社に損害賠償を求められるかどうかという論点(会社法339条2項)は、当事者間で争いが生じ得る領域であり、本記事では扱いません。ここでは、争いなく辞任・解任が決まった場合の登記手続きに絞って解説します。
なぜ「辞めたのに登記簿に残る」が起きるのか
辞任も解任も、意思表示や決議のタイミングで効力そのものはすぐに発生します。しかし、登記簿の記載は自動的には書き換わりません。会社が変更登記を申請して初めて、登記簿にも「退任」の事実が反映されます。
ここで問題になるのが、商業登記の対抗力という考え方です。会社法908条1項により、登記すべき事項は、登記をする前は善意の第三者(その事実を知らない第三者)に対抗できません。つまり、取締役を辞任・解任していても、その旨の登記がされていないと、事情を知らない取引先や金融機関に対しては「もう取締役ではない」と主張できない場合があるのです。
実務上は、次のようなことが起こり得ます。
- 退任した本人の名前が、登記簿謄本(登記事項証明書)に取締役として載り続ける
- 金融機関の審査や取引先の与信確認で、退任した会社の役員として名前が出てくる
- 会社の側でも、退任者を含めた役員体制のまま契約や届出を進めてしまう
いずれも、変更登記さえしていれば避けられたはずのトラブルです。「本人はもう辞めたつもり」「会社も辞めさせたつもり」という当事者の認識と、登記簿という公的な記録とがずれたままになるのが、このテーマの本質的なリスクです。
辞任のときに必要な書類
取締役が辞任する場合、基本となる添付書類は次のとおりです。
| 書類 | 役割 |
|---|---|
| 辞任届(じにんとどけ) | 本人が「取締役を辞任します」と意思表示する書面 |
代表取締役ではない、いわゆる「平取締役」の辞任であれば、辞任届に実印を押したり印鑑証明書を添付したりする必要は原則としてありません。認印で足りるのが一般的です。
一方、代表取締役が辞任する場合は事情が異なります。登記所に会社の印鑑(実印)を届け出ている代表取締役の辞任届には、押印の方法に特別なルールがあります(商業登記規則61条8項)。この点は、代表取締役の交代の登記──就任・退任のパターン別 必要書類で詳しく解説していますので、代表取締役の辞任を検討している場合はあわせてご確認ください。
解任のときに必要な書類
取締役を解任する場合は、株主総会で決議したことを証明する書類が中心になります。
| 書類 | 役割 |
|---|---|
| 株主総会議事録(解任決議) | 株主総会で解任を決議したことを証明する書面 |
| 株主リスト | 議決権数の多い株主などを一覧にした書面(商業登記規則61条3項) |
解任は普通決議で足りますが(会社法339条1項)、役員の選任・解任の決議には定足数(ていそくすう=決議に必要な出席株式の割合)の下限があり、定款で軽減しても議決権の3分の1未満にはできません(会社法341条)。定足数を満たさない決議は無効になるおそれがあるため、招集通知や出席状況の確認が重要です。
なお、新しく取締役を選ぶ場面では就任承諾書・本人確認証明書・印鑑証明書といった書類が必要になりますが(詳しくは取締役を新しく選んだときの登記──就任承諾書・本人確認証明書・印鑑証明書はどれが必要?を参照)、辞任・解任という「退任」の場面では、これらの書類は原則として不要です。「就任のとき」と「退任のとき」で求められる書類の重さが違う、と覚えておくと整理しやすくなります。
辞任・解任で取締役が「欠けた」場合の扱い
辞任・解任によって、法令や定款で定めた取締役の員数を下回ってしまうことがあります。このとき、辞任と解任とでは扱いが異なる点に注意が必要です。
- 辞任・任期満了で員数が欠けた場合:辞任によって退任した取締役は、新しい取締役が就任するまでの間、なお取締役としての権利義務を有します(会社法346条1項)。空白期間を作らないための仕組みです。
- 解任で員数が欠けた場合:346条1項の対象は任期満了・辞任による退任に限られ、解任は対象に含まれません。解任によって員数を欠いた場合は、直ちに員数不足の状態が生じます。
解任を検討する際は、後任の取締役をあらかじめ用意しておくか、株主総会で解任と選任を同時に決議するなど、員数不足への対応をセットで考えておくことが実務上重要です。
登記を忘れるとどうなるか
辞任・解任による取締役の変更登記も、変更が生じてから2週間以内に法務局へ申請する必要があります(会社法915条1項)。この期限を過ぎると、過料(かりょう)の対象になることがあります(会社法976条1号)。期限や過料の考え方については、役員変更登記を忘れると過料は?──期限は2週間、任期切れ・代表取締役変更の注意点でも詳しく解説しています。
登録免許税(とうろくめんきょぜい)の目安は、資本金の額が1億円以下の会社で1万円、1億円を超える会社で3万円です。
まとめ
- 辞任・解任の効力は意思表示や決議で直ちに生じますが、登記簿の記載は変更登記をしなければ変わりません。
- 登記が済んでいないと、商業登記の対抗力(会社法908条1項)の関係で、善意の第三者に「もう取締役ではない」と主張できないことがあります。
- 辞任は辞任届、解任は株主総会議事録・株主リストが基本の添付書類です。
- 解任で取締役の員数が欠けた場合、辞任のときのような「権利義務取締役」の扱い(会社法346条1項)は原則として適用されません。
- 登記は変更から2週間以内(会社法915条1項)。書類の準備や手続きに不安があれば、お近くの司法書士にご相談ください。
よくある質問
Q. 取締役の辞任・解任の登記にかかる費用は? 登録免許税は、資本金の額が1億円以下の会社で1万円、1億円を超える会社で3万円が目安です。司法書士に依頼する場合は別途報酬がかかります。
Q. 登記を放置するとどうなりますか? 変更から2週間以内(会社法915条1項)に登記しないと、過料(会社法976条1号)の対象になることがあります。また、登記が済むまでは、善意の第三者に対して「もう取締役ではない」と主張できない場合があります(会社法908条1項)。
Q. 自分で登記の準備はできますか? 辞任届や株主総会議事録のひな形を自分で用意して申請することも可能ですが、定足数や員数不足への対応など見落としやすいポイントがあるため、不安がある場合はお近くの司法書士にご相談ください。
【さらに深掘り】取締役の辞任・解任をめぐる登記実務の留意点
ご注意 以下は執筆時点(2026年07月)の法令・通達・実務運用に基づく一般的な解説です。個別事情により判断が分かれる論点を含みます。実務適用は最新情報と個別事情を踏まえ、お近くの司法書士にご相談ください。 ここから先は専門的な内容です。一般の方はここまでの内容で十分です。
辞任の効力発生時期は「意思表示が会社に到達したとき」
辞任は、辞任届を作成した日ではなく、その意思表示が会社(通常は代表取締役など、意思表示の受領権限を持つ者)に到達した時点で効力が生じます(意思表示の到達主義、民法97条1項)。実務上は、辞任届の日付と、実際に会社が辞任の意思表示を受け取った日がずれることがあるため、退任日をいつと扱うかは、辞任届の記載や受領の経緯を確認したうえで登記申請書に反映する必要があります。口頭のみで辞任の意思表示を行った場合、後日「言った・言わない」の争いになりやすいため、書面(辞任届)の形で残しておくことが望ましい実務対応です。
解任決議の株主総会議事録には特別な押印証明は不要
代表取締役を株主総会・取締役会の決議で選定する場合、その選定を証する書面に押した印鑑について印鑑証明書の添付が必要になる場面があります(商業登記規則61条6項)。一方、代表取締役ではない取締役の解任決議については、この61条6項のような特別な印鑑証明の添付要件はなく、株主総会議事録と株主リストがそろっていれば足りるのが基本です。「役員が入れ替わる場面だから印鑑証明書が必要なはず」と思い込み、不要な書類まで集めてしまうケースもあるため、退任時と就任時とで求められる書類の重さが違うことを意識しておくと無駄がありません。
権利義務取締役(会社法346条1項)と一時取締役の選任(同条2項)
本文でも触れたとおり、辞任・任期満了による退任では、後任が決まるまで退任者がなお取締役としての権利義務を有する仕組み(権利義務取締役、会社法346条1項)がありますが、解任にはこの仕組みが適用されません。解任によって法令・定款上の員数を欠く事態が生じ、かつ後任がすぐに決まらない場合、会社・株主等の利害関係人は、裁判所に対して一時取締役(いわゆる仮取締役)の選任を申し立てることができます(会社法346条2項)。解任を検討する段階で、後任の見通しが立っていないときは、この点もあわせて視野に入れておくと安心です。
なお、代表取締役についても同種の権利義務規定がありますが(会社法351条1項)、こちらは代表取締役の辞任・任期満了に限られる規定であり、平取締役の権利義務(346条1項)とは条文上の根拠が異なります。代表取締役の退任にまつわる論点は、代表取締役の交代の登記──就任・退任のパターン別 必要書類で扱っています。
定足数(会社法341条)の確認は招集通知の段階から
取締役の解任決議は普通決議ですが、定款で定足数を軽減していても議決権の3分の1未満にはできません(会社法341条)。中小企業では株主総会の開催そのものが形式的になりがちですが、解任という重い決議を行う場面では、招集通知の発送状況や出席株主の議決権数を議事録上も明確にしておくことが、後日の補正や有効性の疑義を避けるうえで重要です。なお、累積投票により選任された取締役や監査等委員である取締役の解任は、普通決議ではなく特別決議が必要です(会社法309条2項7号)。該当する会社は限られますが、決議要件を確認する際はこの例外にも注意してください。
登録免許税は「区分」で合算されることがある
取締役の辞任・解任に伴う変更登記の登録免許税は、登録免許税法別表第一第24号(一)カの「役員変更等」の区分(資本金の額が1億円以下の会社は1万円、それ以外は3万円)で課税されます。代表取締役の変更もこの「カ」の区分に含まれるため、取締役の退任と同時に申請しても税額は1件分ですが、本店移転など別区分の登記もあわせて申請する場合は、区分ごとの税額を合算して納めることになります。複数の変更が重なるときは税額の計算区分にも目を配っておくと安心です。
解任の有効性や損害賠償をめぐる争いは専門領域が異なる
解任の効力そのものに異議がある場合や、正当な理由のない解任を理由とする損害賠償請求(会社法339条2項)が問題になる場合は、法的な紛争として弁護士の領域になります。本記事は、辞任・解任が争いなく決まった前提での登記手続きの一般的な整理にとどめています。争いがある場合や対応に迷う場合は、お近くの司法書士にご相談ください。
参考資料
この記事は、次の資料を参照して内容を確認しています(確認日:2026年07月)。
- 会社法(e-Gov法令検索): https://laws.e-gov.go.jp/law/417AC0000000086
- 商業登記規則(e-Gov法令検索): https://laws.e-gov.go.jp/law/339M50000010023
- 民法(e-Gov法令検索): https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089
- 登録免許税法(e-Gov法令検索): https://laws.e-gov.go.jp/law/342AC0000000035