この記事の要点
- 相続人に判断能力が不十分な方がいる場合、家族が代わりにサインした遺産分割協議は無効になる
- 家庭裁判所に成年後見人等を選んでもらい、その人が本人に代わって(または支えながら)協議に参加する必要がある
- 後見人自身が相続人だと利益相反になることがあり、特別代理人が必要な場合も。元気なうちの備え(遺言・任意後見・家族信託)も検討を
「父が亡くなって相続の手続きを始めたいけれど、母が認知症で、話し合いができない」。 「兄が病気で判断が難しくなっている。遺産分割の書類に、私が代わりにサインしてもいい?」
高齢化が進むなかで、こうしたご相談はとても増えています。相続人の中に、認知症などで判断能力が下がっている方がいると、遺産分割は思うように進みません。この記事では、そんなときに何が問題になり、どう進めればよいのかを、できるだけやさしく整理します。
遺産分割は「相続人全員」でするのが大原則
亡くなった方が遺言を残していなかった場合、誰がどの財産を引き継ぐかは、**相続人全員の話し合い(遺産分割協議)**で決めます。
ここで大切なのは、相続人が一人でも欠けた協議は無効だということです。「あの人は遠方だから」「あまり関わっていないから」と一部の相続人を外して話を進めても、その合意は効力をもちません。これは、判断能力が下がっている相続人がいる場合も同じです。
「家族が代わりにサインする」は、してはいけません
ここがいちばん誤解されやすく、そして大切なポイントです。
相続人の一人が認知症などで判断能力を失っているとき、他の家族が本人に代わって遺産分割協議書にサイン(署名・押印)することはできません。
遺産分割協議は、「自分の財産の取り分をどうするか」という重要な意思決定です。その意味を理解し、自分の意思で同意できる能力(意思能力)がない方が行った合意は、法律上、無効になってしまいます。たとえ家族が「本人のためを思って」したことでも、また実印を預かっていたとしても、本人の意思に基づかないサインは、後で「無効だ」と争われるおそれがあります。
「とりあえず家族で話を進めて、書類だけ整えればいい」——この方法は、一見ラクに見えて、あとで手続きをすべてやり直すことになりかねない、危ない橋なのです。
判断能力が不十分なときは「成年後見人」を選んでもらう
では、どうすればよいのか。判断能力が不十分な相続人がいる場合の正しい進め方は、家庭裁判所に申し立てて、その方を支援する人を選んでもらうことです。これが成年後見制度です。
選ばれた成年後見人などが、本人に代わって(または本人を支えながら)遺産分割協議に参加します。これによって、はじめて有効な協議ができるようになります。
判断能力の程度に応じて3つの類型がある
成年後見制度には、本人の判断能力の程度に応じて、次の3つの類型があります。
| 類型 | 想定される本人の状態(目安) | 支援する人 |
|---|---|---|
| 後見 | 判断能力が欠けているのが通常の状態 | 成年後見人 |
| 保佐 | 判断能力が著しく不十分 | 保佐人 |
| 補助 | 判断能力が不十分 | 補助人 |
どの類型に当たるか、そもそも支援が必要かどうかは、医師の診断と、家庭裁判所の判断によって決まります。ご家族の印象だけで「これは後見だろう」と決められるものではありません。表はあくまで大まかなイメージとお考えください。
また、3つの類型は支援の形も異なります。判断能力をほとんど欠く「後見」では成年後見人が本人に代わって手続きを行いますが、「保佐」「補助」では、本人の意思をできるだけ尊重しながら、保佐人・補助人が同意したり一部を代理したりして支える形になります。いずれの場合も、本人を置き去りにせず、本人のために手続きを進めるという考え方が制度の根っこにあります。
なお、この3類型の枠組みそのものは、令和8年(2026年)6月24日に公布された「民法等の一部を改正する法律」(令和8年法律第45号)によって見直されることが決まっています。法務省の説明によれば「後見及び保佐の制度を廃止して補助の制度に一元化」する内容です。ただし施行日は「公布の日から起算して2年6月を超えない範囲内において政令で定める日」とされており、2026年8月の確認時点では未確定です。施行までは上記の3類型のしくみで運用されます。
「後見人」が相続人だと、利益が対立することも
ここで、もう一つ注意したい点があります。
たとえば、認知症のお母さまの成年後見人に、相続人である長男が就いたとします。すると、同じ遺産分割の場で、長男は「自分自身の取り分」と「お母さまの取り分(後見人として代理)」の両方に関わることになります。これは、お互いの利益がぶつかる関係(利益相反)です。
このような場合には、お母さまのために別の代理人(特別代理人)を家庭裁判所に選んでもらうなどの手当てが必要になります(後見を監督する後見監督人がいる場合は、その人が本人を代理します)。後見人だからといって、何でも一人で代われるわけではない、という点も押さえておきましょう。
知っておきたい──後見は「相続が終わっても続く」
成年後見制度を使うときに、ぜひ理解しておいていただきたいことがあります。それは、成年後見は「遺産分割のためだけ」に始めて、終わったらやめる、という使い方には適していないということです。
成年後見は、判断能力が下がった本人の生活や財産を継続的に守るための制度です。いったん始まると、原則として本人の判断能力が回復するか、本人が亡くなるまで続きます。その間、後見人は家庭裁判所への定期的な報告などを行います。専門職が後見人に選ばれた場合には、報酬が発生することもあります。
「相続の手続きを終わらせたい」という入口で始めても、その後もずっと続く制度だということ——このメリットと負担の両面を理解したうえで利用を検討することが大切です。
いちばんの対策は「元気なうちの備え」
判断能力が下がってからでは、選べる手立ては限られてしまいます。だからこそ、元気なうちにできる備えを知っておくことには意味があります。たとえば次のような選択肢があります。
- 遺言を残しておく(遺産分割協議そのものを不要にできる場合があります)
- 任意後見という、将来に備えてあらかじめ支援者を決めておく制度
- 家族信託という、財産の管理を家族に託しておくしくみ
それぞれにメリット・注意点があり、どれが向くかはご家庭の事情によって変わります。ここでは「こうした選択肢がある」という入口だけお伝えします。具体的な進め方は、お近くの司法書士などの専門家にご相談ください。
なお、相続人どうしで分け方をめぐって争いになっている場合は、成年後見の問題とは別に、弁護士に相談すべき場面です。
まとめ
判断能力が下がった相続人がいる遺産分割は、進め方を間違えると、せっかくの手続きが無効になったり、やり直しになったりしかねません。どう進めるのがよいか、成年後見の申立てが必要かどうかも含めて、まずはお近くの司法書士にご相談ください。
よくある質問
Q. 成年後見の申立てには、どれくらい時間や費用がかかりますか? A. 申立てから審判まで一定の時間がかかり、専門職が後見人に選ばれると報酬が発生することもあります。具体的な見通しはお近くの司法書士にご相談ください。
Q. 相続税の申告期限に間に合わなそうです。後見の手続き中でも延びませんか? A. 相続税の申告・納税期限(原則10か月以内)は、後見人の選任や遺産分割の遅れを理由に自動で延びるわけではありません。早めに見通しを立てることが大切です。
Q. 話し合いがまとまらず、相続人どうしで対立しています。誰に相談すればいいですか? A. 判断能力の問題とは別に、争いになっている場合は弁護士に相談すべき場面です。進め方全体で迷うときは、まずお近くの司法書士にご相談ください。
【さらに深掘り】成年後見と遺産分割・相続登記の実務
ご注意 以下は執筆時点(2026年06月)の法令・通達・実務運用に基づく一般的な解説です。個別事情により判断が分かれる論点を含みます。**実務適用は最新情報と個別事情を踏まえ、お近くの司法書士にご相談ください。**ここから先は専門的な内容です。一般の方はここまでの内容で十分です。
判断能力が不十分な相続人がいる遺産分割は、手続きの段取りがふだんとは大きく変わります。実務の観点から、いくつか補っておきます。
「協議できない」と「法定相続分での登記」は別の話
判断能力が不十分な相続人がいると、遺産分割協議そのものができません。一方で、遺産分割をせずに、法律で定められた取り分(法定相続分)のとおりに相続登記をすることは、協議を経ずにできる場合があります。
ただし、法定相続分での登記は、相続人全員が不動産を共有する状態を登記簿に固定することになります。その後に売却したり、特定の人の単独名義にまとめたりするには、結局は遺産分割が必要になり、そのときには(判断能力が不十分な相続人については)成年後見人等の関与が避けられません。「とりあえず法定相続分で登記」が最善とは限らず、将来の出口まで見すえて選ぶ必要があります。
なお、法定相続分での登記であっても、亡くなった方の出生から死亡までの戸籍をそろえて相続人全員を確定する作業や、登記簿上の住所と最終的な住所のつながりを示す資料の準備は必要になります。「協議が要らない=手軽」とは限らない点にも注意が必要です。
成年後見人が関わる相続登記で必要になるもの
成年後見人が本人を代理して遺産分割に参加し、その内容で相続登記をする場合、通常の相続登記の書類に加えて、後見人の権限を示す資料(成年後見登記の登記事項証明書など)が必要になります。利益相反があって特別代理人が選ばれたケースでは、その選任を示す資料も加わります。
どの書類が必要かは、後見・保佐・補助のどの類型か、利益相反の有無、遺産分割の内容によって変わります。事前に必要書類を整理してから進めるとスムーズです。
「居住用不動産」を売るときはさらに慎重に
本人(被後見人)が住んでいる、あるいは住む予定の不動産を、後見人が売却・賃貸・抵当に入れるといった場合には、家庭裁判所の許可が必要とされています。相続した実家を処分するようなケースでは、この点も関わってきます。本人の生活の基盤を守るための慎重なしくみだと理解しておきましょう。
表示に関する登記は土地家屋調査士へ
なお、土地の面積や建物の構造といった表示に関する登記は、土地家屋調査士の業務です。ここで扱っているのは権利に関する登記(名義の話)である点も、あわせて押さえておきましょう。
判断能力が不十分な相続人がいる相続は、必要な手続き・書類・期間がふだんより複雑になります。何から手をつけるべきか、成年後見の申立てとあわせてどう段取るか、お近くの司法書士にご相談ください。
【さらに深掘り】相続税の申告期限との関係
ご注意 以下は執筆時点(2026年06月)の法令・通達・実務運用に基づく一般的な解説です。個別事情により判断が分かれる論点を含みます。税額の計算や個別のご事情にあわせた判断は税理士の業務です。**具体的な税額や有利・不利の判断は、税理士にご確認ください。**ここから先は専門的な内容です。一般の方はここまでの内容で十分です。
成年後見の手続きには、申立てから審判まで一定の時間がかかります。ここで見落とされやすいのが、相続税の申告期限との関係です。
申告期限は「待ってくれない」
相続税の申告と納税には、相続の開始(被相続人の死亡など)を知った日の翌日から10か月以内という期限があります。そして、この期限は、成年後見人の選任に時間がかかっても、遺産分割がまとまらなくても、それを理由に自動で延びるわけではありません。
「後見の手続き中だから、相続税のことは後回しでよい」と考えていると、知らないうちに申告期限が迫っている、ということが起こりえます。そもそも相続税がかかるかどうか(財産が基礎控除を超えるか)も含め、早めに見通しを立てておくことが大切です。
「未分割」のまま期限が来たら
遺産分割がまとまらないまま申告期限が来てしまう場合、いったんは法律で定められた取り分(法定相続分)で相続したものとして申告・納税する、という取り扱いがあります。
このとき注意したいのが、配偶者の税負担を軽くする制度(配偶者の税額軽減)や、自宅の土地の評価を下げる制度(小規模宅地等の特例)といった有利な特例は、原則として「遺産が分割されていること」が前提になっている、という点です。未分割のまま申告すると、当初はこれらの特例を使えない場合があります(一定の手続きをとっておくことで、後日の分割後に適用できる道が用意されている場合もあります)。
このあたりは、相続税がかかるご家庭にとっては影響の大きい論点です。成年後見の手続きと並行して、相続税の申告が必要かどうか、期限にどう間に合わせるかを早めに確認しておくと安心です。具体的な税額や特例の適用可否は、税理士にご確認ください。 登記の段取りとあわせて、お近くの司法書士・税理士に相談しながら進めるのがよいでしょう。
参考資料
この記事は、次の資料を参照して内容を確認しています(確認日は2026年7月、制度改正に関する資料は2026年8月・いずれも一次情報です)。
- 民法 第7条(後見開始の審判)・第11条(保佐開始の審判)・第15条(補助開始の審判)・第826条(利益相反行為)・第851条(後見監督人の職務)・第859条の3(居住用不動産の処分の許可)・第860条(826条の準用)(e-Gov法令検索): https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089
- 相続税法 第27条(申告期限)・第19条の2(配偶者の税額軽減)(e-Gov法令検索): https://laws.e-gov.go.jp/law/325AC0000000073
- 租税特別措置法 第69条の4(小規模宅地等の特例)(e-Gov法令検索): https://laws.e-gov.go.jp/law/332AC0000000026
- 法務省「『民法等の一部を改正する法律』(成年後見及び遺言の制度の見直し)について」(確認日:2026年8月): https://www.moj.go.jp/MINJI/minji07_00410.html