リモートワークの定着で、都心のオフィスを引き払って郊外に本店を移したい、創業者の自宅を本店にしていたけれど引っ越しを機に変えたい――そんな相談が増えています。本店を移したら登記が必要なのは知っている、でも「いくらかかるのか」「定款を直さなきゃいけないのか」までは案外あいまい、というのが経営者の方々の正直なところではないでしょうか。
本店移転は、同じ法務局の管轄内で動くのか、管轄をまたぐのかで、手続きの流れも費用も大きく変わります。今回はそのあたりを整理してみます。
まず確認:定款を直す必要があるか
本店の場所は、会社の定款(会社のルールブック)に必ず書いてあります。問題は、どこまで細かく書いているかです。
- 「東京都新宿区」のように市区町村まで書いてあるパターン
- 「東京都」のように都道府県まで書いてあるパターン
書いてある範囲をはみ出す移転だと、定款を直す(定款変更する)必要があります。新宿区内で動くなら定款はそのままでよい、新宿区から渋谷区へ動くなら定款を直す必要がある、という具合です。
定款変更は、株主総会の特別決議(議決権の過半数を持つ株主が出席し、その3分の2以上の賛成)が必要です(会社法466条、309条2項11号)。
「管轄内」と「管轄外」で何が違うのか
ここからが本題です。本店移転には、もう一つ重要な分岐があります。
管轄内移転(同じ法務局の管轄内で動く)
新宿区から新宿区内の別の場所へ動く、あるいは新宿区から中野区へ動くようなケース(東京法務局新宿出張所と中野出張所は別ですが、管轄を確認すると同じ法務局の管轄内に収まることもあります)。
- 登記すべき場所は1か所(旧本店所在地を管轄する法務局)
- 登録免許税は3万円
管轄外移転(違う法務局へ動く)
東京から横浜へ動く、新宿区から世田谷区へ動く(東京法務局の中でも管轄出張所が違う)といったケース。
- 登記すべき場所は2か所(旧本店所在地の法務局と新本店所在地の法務局の両方)
- 登録免許税は6万円(3万円×2)
この登録免許税は、会社の本店または支店の所在地の変更登記について定められた金額です(登録免許税法別表第一・24.(1)ヲ)。
「管轄外に動くだけで費用が倍になる」――ここを知らずに「本店移転の登記費用なんてせいぜい3万円でしょ」と見積もっていると、思わぬ追加費用が出ることになります。
申請の流れ(管轄外でも経由申請でラクになった)
管轄外移転というと、昔は「旧本店の法務局と新本店の法務局それぞれに、別々の書類を持って行かなければいけない」と思われがちでした。実際、以前はそうでした。
しかし令和元年(2019年)の改正で、旧本店所在地を管轄する法務局に2件まとめて申請すれば、その法務局が新本店所在地の法務局へ書類を送ってくれる「経由申請」の仕組みに変わりました(令和2年3月1日施行)。
経営者にとっての利点は、「とりあえず今の法務局に行けば手続きが完結する」ことです。
期限は意外と短い:効力発生日から2週間以内
本店移転の登記は、移転の効力が発生した日から2週間以内にしなければなりません(会社法915条1項)。
ここを過ぎても登記そのものはできますが、代表者個人に対して100万円以下の過料が科される可能性があります(会社法976条1号)。「気づいたら半年経っていた」というケースで、後日、裁判所から過料の通知が届いて慌てる、という話は少なくありません。
必要な書類の主なもの
ケースによって変わりますが、典型的にはこんなところです。
- 株主総会議事録(定款変更が必要な場合)
- 取締役会議事録または取締役の決定書(取締役会非設置会社の場合)
- 印鑑届出書(管轄外移転で新管轄に代表者印を新たに届け出る場合)
定款は法務局には提出しませんが、会社内で正しく書き換えた最新版を残しておくことが大切です。
登記が終わっても「これで終わり」ではありません
ここが見落とされがちなところです。本店移転は登記だけでは終わりません。少なくとも次の届出が並行して必要になります。
- 税務署への異動届出書(移転後すみやかに)
- 都道府県税事務所・市区町村役場への異動届出
- 年金事務所への適用事業所所在地変更届
- **労働基準監督署・公共職業安定所(ハローワーク)**への届出
- 建設業許可・宅建業免許など、事業の許認可がある場合の管轄変更届
このうち税務関係の届出は、書式や提出先によって扱いが異なりますし、消費税やインボイス登録番号など影響範囲も広いため、詳しくは税理士に確認してください(税理士法52条により税務代理は税理士の業務です)。
許認可業務がある場合の届出は、業種によって行政書士または各業界団体の手続きが絡みます。
よくある「あるある」失敗例
実務でつまずきやすい点をいくつか挙げます。
| パターン | 落とし穴 |
|---|---|
| 「定款には『東京都』としか書いていないから、定款変更不要」と判断したが、よく見たら過去の改訂で「東京都新宿区」に変わっていた | 定款の最新版を確認し忘れる |
| 効力発生日を「移転当日」と決めたのに、議事録の日付が後日になっていた | 議事録上の決議日と効力発生日の整合性を欠く |
| 登録免許税を3万円と見込んでいたが、移転先が違う法務局の管轄だった | 管轄を法務局のサイトで確認していない |
| 登記は終わったのに税務署への届出を忘れ、申告書類の宛先がずれた | 登記=すべて完了と勘違い |
まとめ
本店を移すときは、まず次の3点を確認してください。
- 定款を直す必要があるか(市区町村まで書いてあるかどうか)
- 管轄内移転か、管轄外移転か(登録免許税が3万円か6万円か)
- 登記以外の届出が漏れていないか(税務署・社会保険・許認可)
このうち1と2は会社法・商業登記の話、3は税務・行政手続の話で、それぞれ専門が分かれます。手続きに不安があれば、お近くの司法書士にご相談ください。税務関連は税理士、許認可は行政書士が担当領域です。
【さらに深掘り】本店移転登記の実務上の論点
ご注意 以下は執筆時点(2026年5月)の法令・通達・実務運用に基づく一般的な解説です。個別事情により判断が分かれる論点を含みます。実務適用は最新情報と個別事情を踏まえ、お近くの司法書士にご相談ください。
商業登記実務の観点から、本店移転で実務上つまずきやすい論点を整理します。
1. 経由申請のメリットと注意点
管轄外移転のときに使う「経由申請」は、令和元年改正(令和2年3月1日施行)で正式に整備された仕組みです。旧本店所在地を管轄する登記所に、旧本店宛ての本店移転登記申請書と新本店宛ての本店移転登記申請書を同時に提出すると、旧本店の登記所が新本店の登記所へ書類を送付してくれます(商業登記法51条以下)。
経営者目線でのメリットは、新旧2か所の法務局へ別々に出向く必要がなくなることです。一方、実務上は次の点に注意が必要です。
- 2件をまとめて出すのが要件です。片方だけ先に出してしまうと受け付けてもらえないケースがあります。
- 登録免許税は2件分(3万円×2=6万円)が必要です。経由申請でも金額は減りません(登録免許税法別表第一・24.(1)ヲ)。
- 完了までの日数は、旧管轄での受付→新管轄への書類送付→新管轄での登記、という流れになるため、通常の管轄内移転より日数を見込んでおく必要があります。新本店所在地での登記事項証明書がすぐ必要な場合は、スケジュールに余裕を持って動くのが安全です。
2. 効力発生日と決議日のズレをどう整理するか
ここが商業登記の議事録作成で間違いが多い箇所です。
たとえば、5月10日に取締役会で「本店を東京都新宿区○○へ移転する。効力発生日は5月20日」と決議した場合、
- 取締役会の決議日は5月10日
- 本店移転の効力発生日は5月20日
- 登記の申請期限は5月20日から2週間以内(会社法915条1項)
となります。議事録には決議日と効力発生日をそれぞれ明記しないと、後で「申請期限はいつから数えるのか」が不明確になります。
また、定款の本店所在地が「東京都新宿区」のように市区町村まで書いてある場合、新宿区から渋谷区へ移転するなら定款変更が必要です。株主総会の特別決議(会社法466条、309条2項11号)で定款を変更し、その上で取締役会または取締役の決定で具体的な所在場所と効力発生日を定める、という二段階の決議が必要になります。
実務では、株主総会と取締役会を同じ日に開催し、議事録上で「定款変更決議に基づき、本店所在場所を○○に定める」と書き分けるのが一般的です。
定款変更そのものは、特段の定めがない限り決議のときから効力を生じます。したがって、「定款変更は5月10日付け、本店移転の効力発生日は5月20日」とすると、5月10日〜19日の間は「定款上は新所在地(市区町村)の会社だが、登記上はまだ旧所在地のまま」という状態になります。これは違法ではありませんが、対外的な書面(契約書等)に記載する本店所在地は、登記上の所在地を使うのが基本です。
3. 印鑑カードと新管轄での再手続き
意外と忘れられるのが印鑑カードです。印鑑カードは法務局ごとに発行されるため、管轄外移転をすると、旧管轄で使っていた印鑑カードは新管轄では使えなくなります。
新管轄で印鑑証明書を取得したい場合、新たに印鑑カード交付申請書を提出して、新しい印鑑カードを受け取る必要があります。本店移転登記の申請と同時に印鑑カード交付申請書を提出しておくと、登記完了後にすぐ印鑑証明書を取得できます。
なお、代表取締役個人の印鑑(届出印そのもの)を変更する必要はありません。あくまでも「カード」が新しくなるだけです。届出印を変更する場合は、印鑑届書を別途提出することになります。
移転後の社会保険・税務手続き
登記の話からは離れますが、本店移転の実務全体を見ると、登記完了後に次のような手続きが続きます。
- 税務署・都道府県税事務所・市区町村への異動届出(提出期限・書式は税務署により扱いが異なるため、税理士に確認してください。税務代理は税理士法52条により税理士の業務です)
- 年金事務所・労働基準監督署・公共職業安定所への所在地変更届
- 建設業許可・宅建業免許等の許認可がある場合の管轄変更届(許認可は業種により行政書士の業務範囲)
登記と並行してこれらの手続きを進めるためには、移転前から関係先に相談しておくのが安全です。
まとめ
本店移転登記は、登録免許税や添付書類だけを見れば比較的シンプルな手続きに見えますが、
- 定款の規定との整合性(市区町村まで書いているかどうか)
- 株主総会・取締役会の決議要件と議事録の書き方
- 効力発生日と決議日のズレの整理
- 管轄外移転時の経由申請の使い方と印鑑カードの再手続き
といった論点が絡みます。手続きに不安があれば、登記の専門家であるお近くの司法書士にご相談ください。